とても優しい言葉でした。
私が留学していたときの話です。
海外で働くことは当時の私にとって夢でした。自分なりに努力をしてやっとのことで海外勤務のチャンスを得て、不安半分、期待半分で海外の生活と仕事をスタートしました。
海外生活はその前にワーキングホリデーで1年間別の国で過ごしたこともあり、あまり不安を感じていませんでしたが一番の心配事は英語。
生活するにはなんとかなると度胸はついていましたが、英語で仕事ができるのだろうかと。
しかし英語は慣れ、初めは大変かもしれないけど何とかなると思っていました。
甘かった。
今考えると当たり前だと思います。
言葉で問題のない日本で仕事を始める時でさえ、分からないことばかりで大変な思いをするのに、ましてやすべて英語で理解など出来るはずもなく、上司に呆れられ怒られ自分が面倒をみなければならない年下のスタッフにも話にならない、使えないとばかりに相手にされない状況。
とにかく自分の不甲斐なさに悔しくて涙の出ない日はない日々が続いていました。
そのような日々が続き3か月ほど経ったころ、体調を崩してしまいました。
食欲もなく泣いてばかりの日々でほとほと疲れ切っていましたから。
そんな中、私が仕事をスタートをした同じ時期に入った現地のスタッフ(当時やっと二十歳になったくらいの子でした)が、私のことを常に気にかけてくれて、英語や生活面で困ったことがあると親身になって助けてくれました。
私の勤務先はアジア圏だったのですが、ローカルの暮らしは見たことがないだろうからと家に連れていってくれ、自分達の暮らしはどんなものかを案内してくれました。
祖父母、親兄弟姉妹の8人で暮らす小さな長屋風の家で、水道はなく大きな瀬戸物の甕に雨水をためてこの水で髪や体を洗ったりすること、兄弟姉妹たちと寝るという四畳くらいの部屋、お姉さんも一緒に暮らしていたけれど今はアメリカに嫁いでいるとのことでした。
そのお姉さんは生まれたばかりの子供がいて、アメリカに身よりもなく、言葉も分からず、アメリカ人の旦那さんとも上手くいかずで大変な思いをしていると話してくれた時に、
”きっと私のお姉さんもアメリカで誰かに助けられているはず。だからあなたが困っているなら私があなたを助けるのは当然のことでしょ。”と私に言ってくれました。
私の状況をお姉さんと重ねてかけてくれた言葉だと思いました。
感謝の気持ちで一杯になったと同時に私が二十歳の頃に、誰かにこんな言葉をかけてあげることなどできませんでしたし、自分がどれだけ甘やかされて自分のことばかりを考えて生きてきたのかと痛切に感じた言葉でした。
海外での生活は予想以上に大変な思いをするかもしれません。
カルチャーショックとよく言ったり聞いたりしますが、これは経験をしてみないとどれほど大変なことなのかは分からないと思います。
日本では当たり前のこと、自分の考え方が根底から間違っていたのか、何故なにもかも日本にいた時のように上手く回らないのか、本当に訳のわからないスパイラルにはまって出口が見えないと思うかもしれません。
しかし、必ず出口は見つかります。
自分のやってきたこと、やっていることに間違いがないと確信を持っているなら貫いてください。
特に日本で仕事をきちんとされてきた方なら、間違いなく海外で勝ち残れます。
なぜなら、日本人の仕事のレベルは非常に高いからです。
初めは同僚ともめることも多々あるかもしれませんが、必ず見ている人がいるのです。
人は正しいことをしている人についてきます。
大丈夫です、自分を信じて諦めないで続けてください。
必ず出口、いえ新たな道がみえてきます。そして、笑顔で羽ばたける日がやってきますから。