アメリカ原住民の言葉

当時私は入社してまもなかった時のことです。
社会人として何も経験がなかった私は毎日上司に怒られてばかりでした。
上司は怒ってくるし、先輩はろくに仕事をしないでうまく上司の目を盗んで仕事をサボっていたりとなんて理不尽なんだと入社して思いました。
先輩達がサボっている分後輩である新卒の私たちはふんぞり帰っている先輩達が仕事の説明や申し送りをしてきていて頭にきていました。

なんで自分はこんな会社に入ったんだろう。
どうして自分ばっかり怒られなければいけないのかと、朝の通勤時と帰宅電車内でつぶやいていました。
仕事したくないし給料も先輩達より安いしどうしてなぜと毎日考えるようになり頭がおかしくなっているのが自分でも感じるようになりました。
その頃は入社して半年くらいで一度病院に行ってカウンセリングを受けました。
そしたら診断名はうつ病で、眠剤を処方されて帰宅。
それでも仕事は残っているので家で作業しながら毎日嫌だなと考えるようなり最終的には死んでなくなりたいなと自分自身がいなくなることを想像してし過ごすようになってしまいました。

小さな幸せを見つけること

そんな時に仕事が休みで私の趣味でもあった読書をしようとふと思いました。
ちょうど仕事も人生もなんだか宙ぶらりんになっていて将来もこのままならどうしたらいいのかと考えている時に出会ったのが有名な出版社の社長の本でした。
その方はネットでも有名な方で、当時は毎日仕事が終わって家に帰る時間までに匿名の質問に真剣に答えるアプリをやっていてそれが本になったのですが、私は毎日この方のメッセージを読むのが日課になっていました。
褒めたり慰めたりするのでなくてその方が生きてきて感じた経験をもとに説教のような、強くても温かい言葉を投げかけて匿名の質問に答えていたのがとても感銘を受けていました。
その頃から尊敬していてその本を読んでいて出てきたのがアメリカ原住民の言葉だったのです。
読んだ時私は少しだけ安堵していました。
日本は恵まれていて食べ物で困ることがなくて普通に私みたいに辛くて死にたいと感じてもお風呂に入れるし布団もあります
いかに自分が今の現状を軽くみていたかが如実に感じらた一文でした。

幸せのハードルを下げたら、人生は幸せで溢れている

知ったきっかけはたまたまでしたが、毎日自分の趣味に時間とお金を使って過ごせていることが自分自身を救うきっかけになっているなんて考えてもいませんでした。
何もなくただただ毎日会社に行っているうちは人間として何もしていないのと同じで、どうしたらもっと自分が満足できるか、不満を行っていないでもっと仕事で圧倒するように努力をするように自分自身に言い聞かせていました。死にたいと思っていた当時の自分にはきっと世の中が全く見えていなくて、もっと広い目で見て欲しいなと、思いました。
周りが気になって自分自身のことを全く考えていなかった私は亡くなってしまった昨日までの方の分も精一杯生きて悔いが残らないようにしたいなと今でも思っています。
あれから何年も経ちますが、今でもその本を読んでは自分自身と向き合い辛い時でも考えて立ち向かうようにしています。
だから簡単に人生を終わらせる選択はしないでほしい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です